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干しアワビ、貝柱、ナマコ、魚の浮き袋、椎茸、鳥鶏(ウケイ)、朝鮮人参、クコ、ときにはハクビシン、山椒魚、鹿の尾など多種の材料を壷に入れ、蓋に目張りをして容器ごと7~8時間蒸し煮にしたスープ。
仏跳牆(ファッテューチョン)の牆とは垣根のことで、この料理があまりにも美味しいので、修行中の坊さんでさえも垣根を飛び越えて食べに行くという意味。
(参考図書:タイムライフ.世界の料理。農文協.世界の食文化。ほか)

<坊さんといえども...>
満漢全席を壺に放り込んだような豪華な食材には好奇心を掻き立てられ、舌がもつれそうな料理名を繰り返し、繰り返し、音読してみたくもなる。
豪華料理であればあるほど、そのアレンジ版は登場するもので、甘糟幸子著『料理物語』の中では、くりぬいた冬瓜を器にした蒸し煮スープ「甘糟流仏跳牆」として登場させている。
何かとお坊さんは引き合いに出されるが、坊さんといえども...という生々しい表現は「世界一」とか、「とびっきり」「天下一品」などの'言葉遊びの形容詞とは別枠のインパクトがある。

トルコにはお坊さんが気絶したほどの美味しい茄子料理「パトゥルジャン・イマム バュルドゥ」、スウェーデンには菜食主義を貫いてきた宗教家ヤンソンさんでも、美味の誘惑に負けたという「ヤンソンさんの誘惑」という料理がある。
それにしても、今日まで堂々と料理名を残しているのは、煩悩を掻き乱された坊さんにとっては名誉なこと?それとも不名誉なこと?

ところかわって京都西本願寺、国宝建造物の御影堂でのこと。ひと月前の三月、辺りに凛とした空気が漂うころ。うやうやしく拝んで頭を上げたら、正面に掲げられた扁額「見真」に、アラ、ちょっと変。額が曲がっている!
ツレに「曲がっていない?」囁いて、額を見据えて右へ左へ、前から後ろ、斜めからと体をよじってみてもやっぱり曲がって見える。その場を立ち去ろうとしたら、
偶然に通りがかった袈裟を着た中年僧侶に出会い、「あのー、あの額...が曲がっているように見えるんですけど...。」と控え目に申し出た。
今度は僧侶も加わって三人で右、左へと...。
額を支える金具が下がってきたのかな?額を手前に倒して掲げているので曲がっているように見えるのかな?などと。
結局、わずかに左(だと思ったが)が下がっているということに話が落ち着いた。
お坊さんの話では、以前はこの額は東本願寺と毎年交代させていたが、このところは西本願寺に定まったまま。去年も外していないし、最後はいつのことだっただったのかな?と首を傾けた。
そんなこともあるんだなぁ〜。
何だか、坊さんとの距離が縮まったような...。

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