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餡入り焼き餅または、焼いた餅に餡をまぶしたもの。
江戸時代中期の両国の名物餅で、当時は大変繁盛したが明治に入る前に消滅した。
餅屋の妻、幾代(吉原出身、源氏名)の名前にちなんでつけられた。
落語家の五代目古今亭志ん生は「幾代餅」を得意芸としており、それによると、
「江戸日本橋馬喰町の米屋の六右衛門の奉公人、清蔵は幾代太夫という花魁の錦絵を見て一目ぼれした。恋煩いをした清蔵は一年間働いて一夜の夢を買い、後に夫婦となって両国橋の西詰めで自ら焼いたあん入りの餅を「幾夜餅」と名づけて1個5文で売り出した。幾夜餅はたちまち評判となり商売繁盛した」という。
◆『狂歌江戸名所図会』1856年(安政3年)
「入口に掛けたる太き縄すだれ、ねじりてちぎり出す幾代餅」「見付けからくひたさうなる幾世餅」とあり、この頃は浅草橋際の浅草御門から両国吉川町の幾代餅の店が見えたという。
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